うさぎファンクラブは1993年に創立しました。
それまでにいろんな種類のうさぎを育ててきましたが、
最初にアメリカンファジーロップを迎えたのは生後2か月くらいだった初代「ぎんちゃん」。
初代「ぎん」はアメリカのブリーダーさんからやってきました。

最初見たときはそれまで立ち耳しか見たことがなかったので
なんだか耳が垂れてて毛が長くて変な奴と思ったものです。
その後うさぎ年が来てテレビに出演するようになりすごく忙しい時期を過ごしました。
「ぎんちゃん」は4匹のこどもを育てその子孫が今8代目として暮らしています。


「ぎん」のこどもで一番印象に残ったのは1996年生まれ「孔明君」。
性格が明るくてポジティブで人間も他のうさぎも大好き。
机とベンチとサークルで仕切られたところを越えて、
友達だったネザーの「ちゃんぽんくん」の遊び場まで行っていました。
この子たちの遊びはマウンティングごっこ。お互いに交互に乗りっこしていました。


この後2002年に生まれたのは天才型の「アルファ」。
生後1か月のころ弟といっしょにまかいの牧場にピクニックに出かけた子。
メスが複数で遊んでいる中にオスの「アルファ」も一緒に出て遊んでいました。
異性といっしょでも特に問題がなく過ごせるところもありました。
頭がとても大きくて人間の言葉をよく理解するようなところがありました。
この子の友達はほうき君。
遊び場の片づけでほうきで掃いているとほうきの動きに合わせてダンスするように走っていました。


2005年に生まれた「ゆうた」(メス)はこどものころどこでもよく寝ていた子。
おなかの上に置いておくとずっとそのまま寝てしまう。無事に育つか心配でもありました。
しかしおとなになりたくさんの子供を育てたあとはおなかの上ではなく
フローリングで“エビの開き”のように足を広げて寝るのが日常になっていました。


2007年に生まれた「てんてん」はアルファ君以来の頭のいい子。
娘の「シータ」とめいの「きよ」の3匹でいつもベッドの上に乗って遊んでいました。
このベッドの上に乗っ遊ぶことをこどもたちに教えたのは「てんてん」。
シーツやベッドパッドに潜って楽しそうにしていました。


2008年に生まれた「シータ」(メス)はベビーのころ母のミルクが出なくて
人間がミルクをあげて育てた子。
人工保育のためかいつも体温が低くて異母兄弟の子たちの間にはいって温まっていました。
「シータ」は鎌倉や江の島、小田原などいろんなところに取材に行きました。


「シータ」の異母兄弟で2009年生まれの「きよ」は遠方取材もこなしたうさぎ。
初めての京都紅葉旅行の時は新幹線でやわらかフンになり大いに慌てたものです。
清水寺に行って四条河原で遊んで新京極から岡崎神社にお参りして永観堂の美しい紅葉を見てきました。
帰りのタクシーがなかなかなくて電車ぎりぎりで駅に着いたのでした。
このときのコピーは「そうだ、きよちゃんと京都」


いままでのアメファジの中で一番思い出に残るのは2009年生まれの2代目「ぎん」。
取材とプライベートを含めて10か所もいっしょに出かけたのです。
①調神社に初詣
②谷川岳天神平取材
③館山フラワーライン取材
④軽井沢春ピクニック
⑤立川昭和記念公園ロケハン
⑥日光の社寺を訪ねて
⑦軽井沢紅葉を訪ねて
⑧所沢航空公園ピクニック
⑨鬼怒川、東武ワールスクエア

いつもいっしょにいたせいか遊ぶ時も人のそばにいてトイレに行くときもついて来ていました。
アルバムの写真も一番残っています。いつも思い出されるうさぎです。


同じころ思い出に残っているのは2代目「ぎん」のこども「もへ」
この子も軽井沢や京都などあちこち取材に出かけました。
事務所で輪くぐりして遊んでビデオを撮ったりしていました。
もともと体調がよくなかったので雨の日も雪の日も台風が来た時も病院に行ったという記憶があります。
性格がおおらかで人間みんな大好きで優しい子でした。


2010年以降しばらくこどもがいなかったのですが、2015年に「びょん」が1匹だけ生まれました。
この「びょん」はのちに10匹のこどもを作り現在も本人とこの子たちが元気に生活しています。


アメファジと長く暮らしてきて感じること。
それはアメファジが人間といっしょに暮らすことに適したうさぎだということでしょう。
人間の言うことを理解し、ルールや言葉を覚える、人間との距離感の取り方も絶妙。
いままで様々な種別のうさぎを育てた中で特にアメファジは特別な感慨が生まれました。
みなさまも長いうさぎ生活の中で一度はアメファジと暮らしてみられてはいかがでしょう。


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